アサーティブであることと日本国憲法
こんにちは。ニニコです。(アドラー勉強中とかいって、さっそく脱線です)
今日勉強したアサーティブネスと、日本国憲法についてのまとめです。
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よいコミュニケーションである条件の一つに、アサーティブであることがあげられます。
アサーティブコミュニケーション (Assertive Communication)とはなにか。
「相手を尊重した上で、誠実に、率直に、対等に、自分の意見を伝える
コミュニケーション」
です。
アサーティブネスやアサーションとも表記されます。
この、自分も他人も尊重される、まさにアサーティブな日本国憲法の条文があります。
それは、日本国憲法 第13条。
条文にはこうあります。
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の行政の上で、最大限の尊重を必要とする。
「公共の福祉」とは、ざっくり「他人の権利」という意味です。
13条の条文を言い換えると、
個人の自由に幸せに生きる権利は、他人の権利とぶつからない限り、最大限に尊重される
といった感じ。
これってアサーティブだと思いませんか。
憲法13条は「みんなちがってみんないい」なんて表現をされることも見かけますが、そんなナマヤサシいものじゃあないと私は考えています。
蛇蝎のごとく大嫌いなアノヒトも、自分と真反対を主張するコノヒトも、誰も彼もすべて個人として尊重される。
みんなちがって、みんな良くはないけれど、みんな尊重される。
嫌いな人や合わない人と無理につきあわなくていい、けれど、きちんと尊重する。
大嫌いな相手に、つい荒い言葉やヘイトを吐き出したくなるときもあるけど、ぐっと抑えて尊重することが共通認識になったなら。
第13条の精神が浸透したなら。
自分のことが大好きで大切でいられて、
同じように相手にとって大切な、相手自身も尊重できる。
もっと生きやすいコミュニティができるのではないかと夢想しています。
最後に、
13条の精神やアサーティブであることと、
アドラー心理学でいう行動面の目標「社会と調和して暮らせる」は、
リンクしそうな気もするので、あながち脱線ばかりでもなかったと思いたいです。